2014年02月21日

自然現象は何者が管理しているか?答えられなければ神罰を否定できない

 




想念上の雑音が入ります。未だ、はまらない(私が)と云うものです。「はまることを期待しているのか?」「はまればどうなるのか?」「はめる方が悪いのです」審判又は監視は仕方ないとしても「野次」で想うことではないのです。大川隆法は審判する資格があるのか?どうしてもそこのところが治らないのか?(仕切る立場になりたいのか?⇔政祭一致になるる⇔考として私は大川隆法と一言も言葉をも交わしたことはありません)当方の立場から監視していると云うなら、並行して他事で証明できる行為を示してもらいたい。(他のことで協力していることがあるのか?と云うことです)

尚、天災に関しては、天罰と云う表現を否定しなくてはならない根拠はどこにもありません。天罰の表現を非難した者はその根拠を示すべきです。勿論、日本は地震王国ですので、反省だけで自然現象を制御することはできないとしても、人間で考えられる霊的な意味は(神の真意など解らない⇔考えるべきではない⇔マインドコントロールになる)は地震王国に生まれて、それぞれが、どのように生きるか?が課題なのです。神の存在があるか?ないか?判明しない限り、肯定してもよいのです。尚、高橋佳子はこの度の震災に、神罰にを持ち出す資格ははありません。自然現象は何者が管理しているのか?答えられなければ、神の存在を否定する根拠はありません。

頑張れば、神の存在は否定すべきことと受け取らざるを得なくなります。密教では以上のような親切な説明はおこなっていません。論議に負けて自分で気付かされるのだと思います。私のヤリ方は邪道だとする観方も在るのです。しかし、私はホームページで教説しておりますので、一定の説明は仕方がありません。(選抜された人のみをを対象としていない)神を否定する議論など、何処かで挫折するようになっているのです。続けるなら「罰」の表現が被災者をボウドクすると言うら、概念のすり替えにすぎないのです。

神の行ったことと、人間の行ったことを同一視していると云うことです。被害は「賞」に概念を変えなくてはならなくなり、概念の意味がなくになります。神の罰に人間が支援しては「マズイ」などと云う考え方があれば、それは所詮人間の考え方なのです。説明すれば社長が罰した者は同僚が助けるとマズくなると云う概念のなせる業です。「神を推し量ることはできないと記してあるだろう」神罰でも人間は仲間を助けなくてはいけないのです。以上は、奇跡の痕跡とは関係ありません。但し、人間の考え方も不文律として在るなら、従わなくてはならないでしょう。

2011-03-17⇔木洩れ日の空間「自然現象は何者が管理しているか?答えられなければ神罰を否定できない」より
 

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posted by 不老の郷 at 08:36| Comment(0) | 社会と宗教思想に付いて | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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